あまり映画館に行けてなかったのですが
久々にロードショー作品を観に行ってきました。
テアトル新宿で「鉄男 THE BULLET MAN」
池袋シネマロサで「ヒーローショー」
個別の感想というよりも、
映画で暴力を扱うときに"突き抜け感"みたいなものでは
もう表現出来ないほど、現実が行き詰まっているのかなぁという
感想を感じてしまいましたよ。
「ヒーロショー」
どうにも"パッチギ"にハマれなかったクチなのでしたが、
評判良いようなので観に行く。
最終日のシネマロサ、最終回20人居ないくらいの客入り
実際にあった事件(東大阪集団暴行殺人事件)がベースになっている話。
ジャルジャル後藤は、今後も映画に出れば良いと思うほどハマってた、
あと、報復計画を考える新庄似の役者も良かったなぁ。
で、映画では
虚勢と集団心理の暴走が繰り返されるんだけど
突き抜けられない。
完全に壊れて行くわけじゃない、世の中を渡って行こうとしながら
短い暴走をしていくしか無い状況。
んー、もっと観る側に突き付けてもらいたかったけどな。
なんで「ヒーローショー」なのか
地元を捨てて、もっともっと逃げて行くことは出来なかったのか。
タイプ違うんだろうけど
「FURUSATO2009」
に出て来た閉塞感の方が伝わって来るし、
日常が続くことの重たさがわかるんだよなぁ。
などと思いましたよ。
いや、まとまんないんだけど
同世代と、いまの大学生とかと、どれくらい感想違うかを知りたいなぁ。
----------------
「鉄男 THE BULLET MAN」は、暴力の暴走が制御されたけど
本人の中での1つの区切りなのかなぁ。
だとしたら、そのメッセージを明確にするであろう
次回作に期待。
「ヴィタール」 でも見直してみようと思う。
最近のコメント